気付いても止められない自己顕示欲

ls氏がうさだBlogで実に怖い自己分析をなさっている。

MMORPG 世界に存在する 3人種
http://lovelove.rabi-en-rose.net/blog.php?n=171

このうち、この書き手であるls氏は3番目「ゲーマー」に当たる。ということを分かって書いている。つまり氏は自分の方向性が孤独であると分かっていて、それは氏自身の本望ではないにも関わらずそれを続けている。ただし「馬鹿扱いされる」という書き方をしているので、必ずしも馬鹿だとは思っていないとも言える(相対論だろうが)。

氏の基本的な色として「事実に基づいたことを書こうとする」という方向性がある。これはおそらく、偽春奈のときに生じた数々の誤解や妄想、それに基づいた誹謗中傷に辟易しきってしまったせいだろう。このため氏は可能な限り自己体験を行った上でモノを書いている。この姿勢は「評価者」として非常に好ましいと言え、純粋に敬意を覚える。むしろ勿体無い。何がってゲーム評価にそれを費やしている点が。

ゲーム評価というのは基本的に売上のための広告媒体で、雑誌や口コミで「○○が面白いらしいよ」「××はすごい」とかいう話からゲームを大衆に広めていくための技術だ。意識的に仕掛ける誰かから、いつのまにか無意識的にそれを広めてしまうユーザ層に広まっていけばOK。無意識層にとっては本当に面白いので嘘臭さもだんだん消えていく。だからこそ一番最初が肝心で、ゲーム雑誌がビジネスとして維持されている理由がここにある。いや、編集部は苦労してるんだけどね…攻略記事とか特に。まぁ雑誌として面白いかどうかは編集部の苦労とは関係ないのでいいんだけれど。

基本的にゲームに時間を費やすという行為は、後に自身がゲーム製作を行う上で参考にする以外での経済・技術的利点はない。無論、正しい書評やゲーム生活記そのものが生業となるなら話は別だが、これは超例外的存在なので割愛する。つまり氏は無駄をやっていることになる。それは氏が上記MMO人種分析や過去の記述で綴っていることそのものだ。

大半のゲーマーはその根拠が何であれ、それが楽しいかあるいはやめられないからゲームをやっている。氏はそうした傾向を露出させることを好むが故にこうした書評を行っている。つまり氏はこうした活動が楽しい、あるいはやめられないのだ。麻薬中毒者を餌とした麻薬中毒。うん、実に不毛だ。
同じ穴の狢は、同じ穴で蹴落としあう。私とて一銭にもならぬ文字列をネットに綴っている身の上だから、人のことは言えないのだけれど。同類かどうかは氏や他の方々の評価に委ねる。そんなことはどうでもいいことだし。

だが、こうした記述を見ていて思う。事実を論拠とした「正確な記述・言述・意思伝達」が出来たとしても、それ自体には何の意味もない。カネと地位に結びつけるつもりなら舞台を間違っている。でも氏はそれさえ分かってこれを続けている気がする。

氏に救いがあるとしたら、この露悪趣味的文章を楽しんで読んでいるネット中毒者がそれなりの人数いるということだろう。氏はそれらの人々に、ひとときの楽しさを提供できている。きっとそれが、氏の「自己顕示」だ。

最後に自己満足を。クリスマスイブにこんなこと書いている自分に、乾杯。