デジタルチューナーキットに立ちはだかる恐怖のモンスター軍団

小寺信良氏による5000円チューナーのキットのアイデアと、その補足

これを採用した場合、問題はモンスター対策をどうするか、という点にあると思う。クレーマー、といったほうが通じやすいかもしれないが、要は「自分(又は自分に近しい人)がたまたまちょっと不遇な立場になったと感じた瞬間に、感情的かつ非論理的な抗議行動及び言動を猛烈に生じさせる人」への対処だ。

筆者は過去に、ボランタリーに知人のPCを修理したことがあった。このとき、修理過程で部品の一つを破損させてしまい、持ち合わせていた自分のスペアを提供することになった。このとき、破損した部品がもともと疲労していたのか、それとも筆者の作業の不手際で破損したのかは確かめようがなかった。

何を言わんとしているかというと、一個人による手作業によって提供されるサービスや製品で予期せぬ不具合が生じた場合、誰が責任を持つのか? と問われた場合、サービスを受ける側は「サービス提供者に責任がある」と言ってくるだろう、ということだ。そのとき、その不具合の原因がサービス提供者の不手際によるものか、製品を構成する部品の一部にもともと不具合があったか、といったことはサービスを受ける側からすれば関係ない。たとえ、そのサービスの提供がボランタリーな精神によるものであっても、だ。

まとめると、以下のような感じだろうか。

(1)有識者がボランタリーにチューナーを組み立てる
(2)(1)のチューナーが第三者に安価(組み立て手数料は取らない)で提供される
(3)(2)で提供されたチューナーに比較的短期間で故障等の不具合が生じる
(4)(3)の不具合が生じたチューナーを提供された第三者がモンスターだった

この場合、ボランタリーな有識者はモンスターからの攻撃にさらされることうけあいである。こんなリスクを有識者は背負ってくれるだろうか。

昨今の日本における品質要求は非常に厳しい。例えば液晶画面デバイスドット欠け保証なんてものが成立するくらいである。ただ、ドット欠け保証はむしろ小売店の利益に貢献しているので、百害あって一利なし、というわけではないが。しかし、ドット欠け製品については結局メーカがそのしわ寄せを受けているのだから、決して笑えるものでもない。この手のコラムに目を通してくれる方々なら、液晶のドット欠けが製造工程上不可避であり、製品にそれが生じうるものであることは理解頂けるだろう。しかし、自分が手にした液晶にドット欠けがあることはやっぱり許せない、という方もいらっしゃるのではないか。

結論として、企業活動ではない個人レベルでのボランタリーな活動には、善意で補填できないリスクを何とかする仕組みが必要だということである。提供されるサービスや製品がどんなに低価格であっても、有償でのモノの譲渡を伴う活動となると「安いんだからしょうがないよね」では済まないだろう。

結局、営利企業が品質保証をサービスの一部として提供する(結果コスト増分が上乗せされる)というのが最も安直な解答になってしまうのだが、もしここにブレイクスルーがあるのならデジタル放送を控えた日本の未来はちょっと明るくなるのかもしれない。