既に知的好奇心を擽らないインターネット

ITmedia "「金、金、金」だった2005年のセキュリティ界"
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0512/20/news014.html

これを別の見地から図ると、2004年以前に存在した「この技術でどんな冒険(イタズラ)ができるか」というものを金欲抜きで行えるタイプの「知的好奇心に基づいて既存技術を活用するアレンジ能力発揮型」人間は既にインターネットに新たな可能性を見出せなくなっているとも言える。

ひとくちに技術者と言ってもいろいろいる訳だが、マクロ的観点で二つに分けるとすると、以下のようになる。

  • 既存技術では不可能だったものを可能にする基盤技術を作る「創世者」
  • 既存技術を活用することで利便性を上げる「活用者」

この二つは決して別個ではないが、基本的に前者になってしまった者はそれにかかりっきりで、後者としての立場での活躍はそれに専念している者に対して小さくなる。結果、世に言う「ハッカー」と誤って称されるクラッカー連中は往々にして後者であることが多い。

クラッカーにとってクラックは生活のための必須手段ではない。それは往々にして遊びであり、自己満足であり、それに慌てふためく他者を嘲笑う一手段であり、時には副産物として金銭を巻き上げることができるかもしれない可能性である。彼らはそのためだけに今までなかったものを根底から生み出すほどの力を割くことはできないし、その能力もないからこそその立場にいる。彼らにできることは「システムの隙間」を重箱の隅をつつくように見つけ、それを攻撃するための具体的な手順書を書くことだけだ。その標的となる「システムの隙間」というやつはシステム開発元が見落としていた構造欠陥であったり、システム管理者が見落としていた設定ミスであったりする。

だが彼らは飽きてしまった。この世の中に欠陥はありふれていて、どんなにそれを嘲笑っても愚か者は減らない。どんなにそれがニュースになっても、ちゃんと次の攻撃先がどこかに残っていて、彼らはいつでも同じニュースを流せる。でも流れるニュースは同じようなことを言うばかりで、何の新鮮味も面白さもない。それは彼らにとって「自分たちがやっていることは無意味」であることを無意識的に思い知らせてしまったのだ。

だってそうだろう? どんなに自分たちが「お前らが使っているシステムにはこんなに穴があるんだぜ」って教えてやったって、穴だらけのシステムが今でも当たり前のように動き続けているんだ。それは翻せば、システムの穴を攻撃する俺たちが無視されているのと同じじゃないか。だって何度ニュースになったって、同じことが起こせる場所はすぐそこにあるんだから。

だから純粋な「試行」目的でインターネットを相手取ったクラッカーは既にその目的を達成し、次の舞台へ旅立ってしまった。残ったのは「穴から金を吸い取る可能性」を主眼に置換え、その為に恥的な試行錯誤を繰り返す連中のみとなったわけだ。

インターネットは成熟を通り越して腐敗に至った。それはもう止まらないからこそ、技術者は次を探し、あるいはもう辿り着いている。