玉石混淆の市民交流会

"ひろゆき氏「市民メディアはマスコミに勝てない」 "を踏まえて。

要約すると「市民メディアは今後も発展してマスコミに支配された構造を変える」と思い込んでいる仮想戦記泥酔記者団をひろゆき氏がばっさりと斬ったという内容だ。文末に慰め程度の希望的観測を繋ぐ事例が示されていたが、あえて斬ろう。つまらぬものと知りながら。


市民メディアの目的の1つは、当事者や専門家が自ら情報を発信することで、結果的に体制側の情報に偏りがちなマスメディアを監視したり、真実を掘り起こすこと。例えば「松本サリン事件」では、無実の男性が家宅捜索を受け、事実上の犯人扱いで報道されたが、男性が持っていた農薬でサリンを作れないことを知る専門家は多かったという。「あの時市民メディアがあり、専門家が発信していれば、何か変わっていたかもしれない」
断言しよう。何も変わらない。たとえそれがあの時代ではなく「インターネットがこれだけ普及した」今この瞬間であってもだ。理由は簡単で、ネット発言はそれ自体が直接世論に影響する力を持っていないからだ。ネット発言が世論に影響を与えるには「ネット発言がマスコミで紹介される」必要がある。だがあの決め付け報道体制の中でそんな意見が取り上げられただろうか。マスコミは国民の注目を集めるため「事件の犯人」という仮想敵を必要としていた。結果、訴訟その他で厄介な宗教団体より一個人をその人柱として選んだ。それだけのことじゃないか。もし取り上げられる可能性があるならせいぜい週刊誌だが、それってゴシップ止まりだよね。だめじゃん。

今ネットが与えている影響はすべてマスコミを通して一般に広く認知されたものだ。つまりマスコミが取り上げないネットの界隈は広まらない。さて問題です。マスコミにとって商売敵になりうる市民メディアがマスコミに取り上げてもらえるでしょうか。

結局、市民メディアなどというものはマスコミに負け続けるうちに「やっぱり無駄だって」とみんな意気消沈して終わっていくものなのだ。結局は実行力のないサロンとして食い扶持にもならない鬱憤をぶつくさ言っているだけの場所になる。それって「メディアとしての意味」は現在の2ちゃんねると何も変わらないよね。むしろそれ未満かもしれない。1ちゃんねるのような存在、とまで言っては酷評に過ぎるかもしれないが。

閑話休題。今回の市民交流会における最大の意義はひろゆき氏の発言だろう。


JANJANがハードルの高さを存在価値とするなら、マスメディア側にいくしかない。しかしマスメディアには、取材費用をもらえ、毎日物を調べているだけでご飯を食べられる人がいる。市民メディアはそうではなく、兼業の人が多いから、市民メディアは構造的にマスメディアに勝てない。ならばやらないほうがいいと思う」

「例えば事故を起こした人は、わざわざネットに情報発信するより、慰謝料でおいしいもの食べた方がいい」

理念で人は動かないという事実と、欲の本質を実に正確に表現している。やっぱり彼は頭いいなぁって改めて思う。私に賞賛されても嬉しくないだろうけれど…(苦笑

※3/24訂正:タイトルが「玉石混合」となっていたものを「玉石混淆」と訂正しました。アメショさんご指摘ありがとうございました。