偉大な福祉国家妄想

コメントレベルで終わらせようと思っていたのだが、どーも煮え切らない議論が始まりそうだったので自分の場所でぶちまける。

焦点はR30氏が4/11にとりあげた新聞ネタからはじまったフリーター政策議論に対して発生したこのコメントだ。


投稿者: GenOishi (April 13, 2005 01:07 AM)
(前略)厚生労働省がフリーターという就業形態を問題視しているのは、OJTの機会が与えられないために職業能力を向上させるチャンスが失われるから、です。人材育成という視点からのアプローチは、小杉礼子著『フリーターという生き方』(ISBN:4326652764)を政策に反映させたものだと私は理解しています。こうした施策の是非については議論の余地が多分にありますが、少なくとも厚労省の立場を理解したうえで批判なさるのが適切かと存じます。

この話は単にR30氏が本文において言葉足らずな部分があったことをフォローするものだ。だが、視点を変えて見てみよう。もし厚生労働省が本当にこのようなことを考えているのだとしたら、問題はフリーターを減らすことではなく、フリーターと呼ばれる就業形態が「使い捨て人材」として消費されている実態を改善することなんじゃないかということだ。

フリーター等の「契約社員」「アルバイト」等の「事業者の都合による雇用契約解除が比較的容易とされている就業形態」に関してはこの手の「技術が育たない」問題が横たわっているのは今更の話だ。で、その対策が「フリーターを減らそう」ですかそうですか。何故「フリーターでも世の中で稼ぐ力となる技術を身に着けられるよう対応する」という発想にいかないのでしょうか。

習熟のために長期間の修練を要する技術は確かにある。だが基本的に年単位で修行を積まなければならないような「職人芸」の類に挑むフリーターというのは原則として存在しない。そもそも舞台がそんな生半可を受け容れてはくれないからだ。だから「技術の継承と維持」という意味でフリーター論はお門違いだ。

一方で、世の中の正社員は世に言われるほど「技術」とか「(後に生かせる)経験」なんてものは持っていない。それは何よりお役所に勤める皆様方が一番自覚なさっていることじゃないか(苦笑)。だから技術立国として理系離れを憂うならばともかく、フリーターを持ち出して「技術うんたら」という時点で何かが違う。そもそも工場における労働で必要な技術なんて某自動車会社のコスト削減とか価格競争とかであっさり「おまえら要らない」と言われ、工場が潰れたあげく上澄みだけ資本に買収されてしまう程度のシロモノだ。それでもそんな技術を必死でフリーターに仕込みたいですかそうですか。

つまり何が言いたいかというと、GenOishi氏が持ち出したフォローネタは、フリーター議論をネタとして提起したR30氏の記述不足フォローとしてはある程度適切だったことは間違いないが、「20万人削減」とか厚生労働省自体が勘違いをしている事実は別の視点から見ても変わらないよ、という補強をしてしまっているということだ。

もともとフリーターと呼ばれる就業形態が流布したのは、バブル期に流動労働力を増やすことで求人広告料や紹介料という売上と利益を伸ばすために行われたリクルートの営業戦略に他ならない。そしてフリーターが社会問題として認識されるようになったのは、単にそれが政治批判として非常に便利な口実だったからだ。野党が与党を批判するとき「失業者は増え続けている」と言うだけで「今の政治はダメだ」と言えてしまうのだから、本当に便利だ。で、失業者ネタに飽きられている昨今だから次はフリーター、次はニート。その次は何ですか? そろそろパイが尽きそうですが。フリーターやニートをさらに細分化しますか? 一般人がついてこれないほどに。

仮にフリーター問題の原点をあえて追求したとしても、その正体は「売上と利益優先で無知な他者を食い物とする」ことを正当化する資本主義そのものなわけだ。それはつまり「無知が無知であることさえ気付かないまま食い尽くされる」状況自体を改善しないことにはどーしよーもないんじゃないか。これを改善するには「財の再配分」という発想を資本家たちが持たないことには始まらないわけで。ええ、現実として始まることは永遠にないでしょう。

あ、先に言っておきますけれど私は反資本主義ではありません。単に資本主義が持つ弊害を示唆し、資本主義社会の上に暮らすならそれくらい知っておけというだけです。ただし反共産主義(理想としての社会主義そのものではなく、実態としての共産主義国家)ではあります。私も殺されちゃうからね!

閑話休題。極端な話になるが、正社員とフリーターの違いは「正社員になれるタイミングで権力者の足の裏を舐めることができたかどうか」だと思う。度合いや動機の差はあれ、反社会的態度を表面化させたか隠していたかの違いだ。そんなことで一生が決まってしまう「社会に迎合するしかない」労働体制を健全と思い、維持し続けたいのだろうか。もしそれが本音なら、厚生労働省がまずはじめにやるべき施策は「美辞麗句をなくす」ことだ。世の中の実態を教え、稼いだカネ以外で実現できる夢や希望なんて無いんだという前提を植え付けて「労働」させる流れを作ることだ。そうすれば世の中は「そんな厳しい社会で労働なんて出来ない」と嘆く勘違いしたバカ負け組と「それでも生きるために素直に社会に従って労働します」という悲しき労働者に二分され、負け組には死んでもらえばいい世界が出来上がる。ただ、それだけのことではないだろうか。これに基づけば、厚生労働省の仮想敵はまず「マスコミ」になるはずなんだけどなー。何で「フリーター」なのかなー。やっぱり弱者を苛めるのは強者の基本?

やれやれ。福祉国家って、そんなに大切ですか。そうですか。