サロン分析に見る自省

今回は3/22に記述したブログ=サロン論に対するsantaro_y氏のコメントが元ネタ。うーん、サロンとしてのブログを否定しているような空気が漂っていたのか。自覚してなかった。結論が出ている=無意味だからブログはダメ、と解釈できんことはないのか?やはり記述による意思伝達は一方的に相手の解釈能力に依存するという意味で実に慎重な態度が必要とされるわけか。逆手に取れば話題作りに使えるけれど、誤解を招きたくない場合は大変だなぁと改めて認識。

さて、フォローを兼ねた派生論。サロンの無意味さと有効性に関して。

ブログ=サロン=井戸端会議に関しては、実はブログに限ったことではありません。あらゆるコミュニケーション、極論を言えば友人とか身内とか、顔を合わせて話すことの大半は井戸端会議なわけで、ブログとコメント、トラックバックはそれの派生に過ぎないということですね。

この世に政治・経済・権力その他の直接及び間接的影響をもたらす事象と行動に関する話題だけして生きている人間っているのかどうか知りませんが、少なくとも私を取り巻いている常識世界では大半が「無駄で無意味で(主体者にとって)楽しい会話」です。仮にその話題が政治的・経済的事象だったとしても、それ自体に干渉・対応した行動等をとる意図はほぼまったくなく、ただ対話をすること自体が自己存在確認となります。

そういう意味でサロン自体には直接的実行力はなく、その行為そのものに意味が無いという示唆は3/22の内容にも込めています。ただ、それが例えば一部の教育者の意識に止まり、次の世代に緩やかな反映を促すといった側面はあります。そういう意味での間接的な意味は皆無ではない、という意味でサロンは有効だという認識を私は持っております。ただここまで説明しなかったのは、単純に焦点がぼやけるからなんですね。気付いたからといってどうになるもんでもないし…。何よりそれを理由に「俺たちはサロンがあればいいんだ」的開き直りや正当化をされるとそれはそれでいろいろと問題があるわけで。

ただ、次に向かうには現状を可能な限り正しく認知しないと舵が取れないだろうという意識のもとに。前回のサロンネタは自己分析の派生的産物であり、自省なのです。