コメントtrack back妄想

先日の流れに一応決着をつける形で。発端は3/1日記のコメント欄。


トラックバックは読み手のためにある」というのは私も思っています。そう考えると、読み手がコメント内からトラックバックをして、書き手の知らないサイトを関連付けることができる機能も必要なのかもしれませんね。

というわけで考えてみよう。

まず既存の実例がないか、という点だが「現状の限り存在しない」と見てよいものと思われる。少なくともぐぐった程度では出てこない=ブロガーの認識にない、という判断とする。海外リサーチはかけてないのであしからず。むしろあったら教えてくれ(手抜き)。

で、実装したらどうなるか。現状でもコメント欄にlinkを張ることはできるため、linkとの違いを元に考えてみよう…といっても実は変わる点がひとつしかない。参照元と参照先の相互認識における差異だ。

linkは基本的にログを追わないとリンク元が辿れず、またそれを理解できるのは原則として管理者のみである。一方でtrack backは受けた側が参照元を認知でき、また受けた側の閲覧者もそれを知ることができる。これによって交錯の機会は増える。

track backが目新しかったのは、基本的にサイト間の関係がlinkという一方通行だった世界に構造設計の段階から相互性を持ち込んだところにある。これによって情報の関連性を密にする可能性が生まれた。

で、これをコメントでやったらどうなるのか? ぶっちゃけ、linkとレベルは変わらないと予想される。単に「機会が増える」だけで、その機会を作る層が増えるわけではない。積極的な書き手が自分のネタに近い新たなネタや別の見方を見つけるきっかけとしてよい燃料になることは予想されるが、「沈黙のオーディエンス」を「主体的オーディエンス」に変えうるモノにはならない。今までlinkで済ませていた人間がtrack backをする可能性ができるだけだ。

そう考えると、やはりtrack backは学術向け技術なのだと思う。前回は書かなかったのだが、track backは主に技術者コンテンツの結びつけのためにあった発想で、片手間に読む日記ネタまで絡めることはその時点では想定されていなかった。無論、技術を目的以外に用いることに何ら問題はないのだが、技術を活かすのは人であるという基本原則をtrack backは外れていないということになる。
結局、インターネットというのはまだまだ選ばれた者の世界なのだと思う。それまで認知できなかった「各地に散財している小粒の思想・技術・芸術その他の知識に聡いかもしれない人たち」を声高にさせ、お互いを認知させたという意味でインターネットは確かに貢献した。だがアクセス数に遠く及ばないコメントの少なさは、それ以上に多く存在する「沈黙のオーディエンス」を浮き彫りにした。結局これは、特定の事項に興味を持ち、造形を深めようとする小集団がいかに世界全体においてマイノリティであるかを示してしまったということだろう。

だが、それが無意味なわけではない。個を追求する上では実に便利なことだけは、間違いないからだ。相対を多く感じるという意味で悪い刺激になるきっかけにもなりうるが、そんなデメリットはすでに既存マスコミがもたらしているから瑣末なことだ。

あとは、どう活かすかだけだと思う。結局は個人の問題だ。