ブロガーは踊る、されど進まず

今回は可能な限り元になった文章をルールとして話を進めてみよう企画。santaro_y氏「沈黙のオーディエンス」を「主体的オーディエンス」へ導こうと試行錯誤、もとい思考錯誤しておられるので乗ってみよう。

さて、santaro_y氏のアプローチは「自分のブログ傾向を分析し、何を求めているのかを整理、理解した上で読者に対し最適なアプローチを考える」というものだ。これ自体は建設的…に見えるのだが実は考察内容に落とし穴がある。

それが端的に出ているのが以下の一文である。


ブロガーの中にはせっかくブログをやっているのにコメントやトラックバックが使われていないついていない人が結構多い。大概そういう人は他のブログの記事に対してもあんまり反応をしない人達である。つまり彼らは生産者、表現者にはなったが「観客」としては相変わらず「沈黙のオーディエンス」なのである。オレは彼らをブロガーとは見なさない。

これはつまるところ「ブログやるからにはトラックバックその他の手を尽くして読み手を増やす努力をしよう」という発想であり、ブロガーに対する啓蒙だ。だが残念ながら、大半はこれを「余計なお世話」と受け取るだろう。この記述に対し、大半の人間は「貴方にブロガーと見なされなくたって困らない」で終わってしまう。

そして、santaro_y氏はこういう認識をなさっている旨を表明している。

ブログというツールの本質であるトラックバックという機能

実はこれ、track backの設計思想と逆の前提に基づく認識なのだ。もともとtrack backはインターネットリソースの体系的整理を具現化するための一手法として考案された。つまり、各人が提供するリソースを関連付け、利用者が関連情報を効率的に探せるように作り手側があらかじめ手を尽くしておいてあげようというものなのだ。そうすればインターネットリソースはもっと効果的に利用され、人々の役に立てるだろうという発想を元にしている。つまり読み手のための機能であって、書き手が集客し次の連鎖を生むためのものではない。

もっとも読み手にとってはちゃんと関連情報が結びついていたほうがいいわけだから、そう考えると現状のブログは確かに「作成者側が果たすべきtrack backの整備を怠っている」と受け取れる部分がある。だが、これがいかに無理難題かは想像に難くない。それは極端な話、ブロガー全員に「他者が提供する情報を認識し、関連性を考慮しろ」という前提を求めていることと大差ないからだ。

これは完全に唯我独尊的主張だが、人間は自分が求めない発展を望まれることを「余計なお世話」と受け取る。つまりインターネットを「利用」する以上の欲求が無い層というのは、ブログに書いたことがいかに活用されるかとか誰かにとって新たな意見や発想の起点になるとかそういったことを考えない。だからtrack backするのが手間だったらそれまでだし、要求されても「うるさいなー、面倒くさいじゃん」程度だ。

結局のところブログにおける「読み手のため、それがひいては書き手のためになる」track backというのは、インターネットの公益性というものを意識し、かつそれに貢献しようという欲求があるかどうかの差だと思われる。かつ、それを真に達成するためには事実関係を正しく認知し、その上で用いなければならない。これは決して万人の技ではない。仮に丁寧に説明したところで万人が受け容れられる所業でもない。

それでも「ひとりでも多くにあるべき姿を」という啓蒙の発想は悪くない。実際、santaro_y氏は最後にこう記している。


果たして我々はこの壁を打ち破る事ができるのだろうか?
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打ち破って欲しいです・・・

うん、きっと報われないと思うよ。でも、だからこそ乗ろう。このひとときくらいは。(苦笑)