SNS勝利宣言

今回はSNSネタ。

SNSはその設計が故に多くの理由で批判を浴びる。その主な理由を挙げると以下のようだ。


・そもそもSNS会員じゃない人間はSNS内リソースが閲覧できない
SNS会員になるにはSNS会員の知り合いから紹介してもらわなければならない
SNS内からSNS外にリンクできるのに、逆は不可能(情報の一方通行)

で、これを一言で言うと「閉鎖性」となる。つまりSNSは本来(事実上無差別に)開かれた世界であるWWWに凝った世界を勝手に作り出したというわけだ。
だが、これまででも会員制ページというものはあったわけで、個人ページの掲示板や一部情報にID/Passが必要なんてのは今でも珍しくない。では何故、今更SNSがそうした理由で叩かれるのか? 理由は主に3つあり、その3つは密接に絡んでいる。


1.SNS内リソースを得られるかどうかによって情報格差が発生する。これは今までの特定webリソースにもあったことで、特別視する点ではない。
2.SNS会員が増えることによってSNS内リソースの「有用な情報の含有数」が向上する。また話題共通性としての普遍度も向上する。これがかなり特異な点で、特定の企業サービス(求人等)に帰属しないラフな情報集合体で10万人規模のコミュニティを作ったwebシステムはSNSが普及するまで大衆の意識に無かった。
3.SNS会員による「SNS会員であるが故に持つことが出来る、特定情報の共通認識」がSNS外で示される。これによって非SNS会員は疎外感を感じ、この原因となったSNSというシステムを敵対視する。またSNS内部からも、SNS内部の一部コミュニティが持つ閉鎖性に辟易した結果これを否定する。こうしてSNSは内外から否定される側面を持つに至る。
以上だ。なんと分かりやすい。要は選民思想が必ず抱えるジレンマなのだ。SNSによって発生したSNS会員という特権階級をSNS内外が批判する。歴史は繰り返すとは本当によく言ったものだ。実際、確かにSNSは病理を抱えている。SNS会員という特権階級を得た誰かが「俺はSNS会員だぜ、非SNS会員のことなんて知るか」的な意識を無意識的にひけらかすことはままあることで、それは特権階級が発生する世界では避けられない側面だ。

ついでに言うと、SNSがこれまでの限定コミュニティと異なる点が「趣味・嗜好とは別のところで選民思想が発生している」ことだ。これまでの会員制リソースは特定の趣味・嗜好(主に風俗やゲーム)によって形成されており、それに興味がない人間にはどうでもよかった。だがSNSは、非SNS会員にとっても興味の対象となりうる情報がSNS内で展開されているにも関わらず、非SNS会員ではSNS内の情報に触れることができないという歯痒さを抱えている。結果、SNSがあるが故に歯痒さを覚える非SNS会員の層が趣味・嗜好の面で裾野広く広がったために、SNSは自ら攻撃される機会を増やしてしまったのである。

だがSNSとしては本望であろう。多くの人間からケチがつくということは多くの人間にSNSの存在が認知されている証明であり、そしてSNSの会員数は今も増えつづけている。これはSNSが影響力の展開戦略として勝利している証だ。

あとは利益構造を付与するだけだ。これが一番大変な訳だが。