Macは燃やされ、iPodが浮かぶ

Windows95の躍進において最も貢献したのは(おそらく)device driverだった。一方でMacの躍進に最も貢献するのはiPodiTunes、そして何より「立場を確立した企業が著作権関係を明確にした上でEMDを展開した」こととなるだろう。

両者を比べるとかなり違うようで、実は同じようなモノだったりする。要は「面倒な手続きを企業が引き受ける」姿勢だ。Microsoftはハードウェアを取り持ち、Appleはユーザと音楽業界を取り持ったのだ。

Windowsが本格的に普及する前のハードウェアは、企画を合わせても論理的にお互いを認識する仕組みに欠けていた。例えるなら、おもむろに買ってきた電化製品を使ってみたところ「コンセント刺してるのに電源が入らないよママン」とユーザが嘆く状況が当然のようにあったということだ。これは何故かと言うと、特定の組み合わせによってしか動作しない状況を作り出すことが「固定ユーザを確保し続ける」という当時のコンピュータ市場というニッチな世界にはごく当然の状況だったからだ。無論、多くの機器に対応するための動作確認を行う人的労力や機材投資が当時のニッチ市場価格では膨大になりすぎてそもそもビジネスとして破綻するという悲しい実情があったことも見逃せないのだが。

しかしdevice driverはこの状況を(即時に刷新はしなかったが)大きく変える可能性をもたらし、結果それは成功した。これによって多くのベンダーが(相性問題を持ち込んだままではあったが)コンピュータ機器の提供に参入するようになり、IT関連企業はハード、ソフト共に一気に躍進した。つまりハードウェア企業がやりたがらなかった「標準化作業」をソフトウェア側から持ち込み、成功させたのがMicrosoftだったわけだ。ついでに言うなら、Microsoft最大の利益源泉であるOfficeの普及も結局は「各企業間、部署間のやりとりでコンバートを意識しなくていい」ぬるま湯を与えて成功したことにあると言える。

Appleはこのような「面倒ごとを引き受ける」ビジネス成功プランを、著作権と叫びつづける音楽業界に持ち込んだ。「あらかじめ示談金を払っておいて、それにマージン乗っける前提を持った事業」かつ「インターフェースを画一化することで、利用するのに(とりあえず)無難な仕組みを作る」という取り組みの具現こそがiTunes、そして(購買欲をそそるデザインセンスを加味した)iPodであり、そしてそれは見事成功した。だからこそ、今回のiPod shuffleMac miniがある。実に素晴らしい。素直に見事だと言おう。

こういう視点をiTunes事業開始時点から見出せるような輩こそ、投資家として成功するのだろう。残念ながら私は似非批評家崩れでしかない。何より資本がない。負け犬あぉーん。

そう思いながら、Windows95が脚光を浴びた頃に登場した「Macが燃やされるスクリーンセーバー」を眺める。これが出た当時はまさに風評であり揶揄であり、Mac信者を嘲笑う格好の材料だった。それが今では不死鳥が羽ばたく前兆、ここからiPodが羽ばたいていく舞台にさえ思える。

Macは燃やされて良かったのだと、今だけを見れば思うのだ。勿論、この意見はきっとそう遠くない未来に変わるだろうが。