リクルートに扇動された人たちが作る社会

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

今回はosakana.factoryより。ここって本当はロリ絵がメインのサイトなんですけど、違う理由でリンクしてばかりです。ごめんなさい。

閑話休題。こうした記述や紹介は社会のため、啓蒙のために行われているわけじゃないという点も自分で読み込めればとりあえず第一段階突破だと思います。

でもひとつずつ答えを見るたび、個人の思考としてはどんどん「共感する人間が減る」方向に陥ることも覚悟の上で。だからサロンは代償行為に身を浸す連中にとって必要なんですね。論理という記号は論理と言う記号としか噛み合いません。自分の常識を守ることに必死な御都合主義的感情論に論理で挑んでも永遠の平行線です。

問題なのは狭い価値観に基づく保身と体面から近親者にフリーター否定論を押し付ける連中だってことですが、そのほうが社会的に成功するという良く分からない部分もちゃんとあります。安寧に暮らす上でどっちがいいのかといったら、無理解で感情的な方なのかもしれません。理解したほうが負ける、そういう世界ですから。エルサレム周辺を見れば一目瞭然。歴史は繰り返さないけれど、歴史的事象は繰り返すものらしいです。

今回は論旨展開を非常に手抜きで書いているので、散文的になってしまいました。年初めにこれでは先が思いやられますが、単に私のパワーが現実に対して呪詛を叫ぶことより嘘だと分かっている物語を創作する方向に向いているだけですので。

二重体に殺されたい今日この頃。