ニート発生のメカニズム

R30さんがニート論でパンクしている。ああ触らなくてよかった(ぉぃ)。でもせっかくだからあえて触ろう。ただし今回はTBを控えて。

ニート論で税金払えとかマクロ的には正しいけどミクロ的には完璧にお門違いな連中が時々いる。だが、そもそもニートやってる連中というのは「税金払いたくない」とか「年金払いたくない」とかいう理由でそうなったわけではない。だからその論点でニートをこきおろすのは自己満足でしかないと断言できる。言論人が話題の主体者たるニートと同じ肩の高さに降りることができずに、この問題を語ること自体おこがましい。よってここでは「ニートが発生する原因」と「誰に責任があるのか」に言及する。

ニートは基本的に不器用な連中だ。「親の期待」と「現実の自分」の間で発生するギャップに苦悩し、「これ以上醜態を晒したくない」という臆病な自尊心と尊大な羞恥心(by山月記)が故に「働く」という「他人に関ることによって発生する、己が評価される機会」を避けている――そういった連中だ。無論、細部の理由は十人十色だろうが。

では何故こうしたギャップが発生するのだろう? ひとつは教育層(親、教師、その他周りの「恩を着せてきた」連中)が、被教育層(この場合、結果としてニートとなる連中)に「過剰な期待」を寄せるからだ。「過剰な期待」で済ませるといろいろ議論になるので、あえて定義すると「マスコミが報道する『世の中の成功事例』を真に受けて、自分の子どもたちにそれと同等の未来を期待する」ことだ。

ちょっとニートと直結しないが、こうした「マスコミを発端とするイメージギャップ」の実話を出そう。一時期話題になった乙武洋匡氏の『五体不満足』という本に関わる話だ。この本は著者である乙武氏自身が、己のハンディキャップをものともしない生き様とその精神を示したものとして知られている。これはその出版部数の多さも手伝い、マスコミで一時期非常に話題となった。無論、これらの報道は「全会一致肯定論」だった。世の多くの「健常者」はこの本と乙武氏を感動と喝采で迎えたわけだ。

一方、これによって生まれた弊害もしっかりあった。どういうことかというと、ハンディキャップを持っているが故に一部で周りの人に苦労をかけてしまう障害者たちに「乙武氏はひとりであんなに頑張っているのに、あなたはひとりでそんなこともできないのか」と一方的な批判を浴びせる輩が出てきたのだ。皮肉にも障害者が書いた『五体不満足』によって、乙武氏以外の障害者が被害者になったのだ。

これは冷静に考えれば、こうした言葉を浴びせた「理解のない一部の発言者」にしか責任はない。だが、今ニートとして扱われる連中の周囲がこうした「理解のない一部の発言者」であったとしたらどうだろう?

「世の中にはこんなにがんばって成功している人がいるのに、お前ときたら……」

たったそれだけで、その人は自分に自信を失う。そんなことで自信を失うこと自体がダメだという論点は追い討ちにしかならない。今の世の中は「人生において、自分ができることに自信を持つ準備段階」というものを飛び越して一方的な「成功という理想」を押し付ける。理想を押し付ける側は、自分で「次の世代が見習えるような背中」を現実で示すことさえしないのに。

ニートになってしまった人間たちの周囲の環境をシミュレートすると、こんな感じだ。「そんな奴らの傍を離れて自立しろ」とかいう論点も却下。世の中まだまだ「親は大切にしろ」だとか、各家庭の実情を無視した理想論が横行しているし、仮に自立するにしても「保証人」とかを金で買うことは万人の業ではない。知っているか? バイトならともかく、正社員としての就職には手続きの書類に「保証人」を記入する欄があるんだぞ。一部の地域じゃ2人必要だったりするんだぞ。まぁニートはもしかしたらバイトさえしてないかもしれんから、ちょっと論点が外れるといえばその通りなのだが。

結論:マスコミ報道を真に受けて、子どもを盆栽扱いする親世代の責任。