記号と意味の見直し

メールで年賀状を済ませることに対する大衆意識の指標がひとつ世に出された。せっかくだからネタになってもらおう。このサイトの意図を確認する意味でも良い例となってくれる。

これを鵜呑みにするなら、7割はすでにメールによる年賀状代わりを「失礼だと思わない」と意識していることになる。だが、本当にそうだろうか。ここで、本当に「そう」かどうかを問うのは7割という数字ではない。「失礼だと思わない」かどうかだ。

実際「えー、別にいいじゃん。拘るほうが変だよ」と思っている人もいるだろう。だが実際には「本当は年賀状として出したほうがいいんだろうけれど、面倒くさいし……」という意識から「あまり失礼だとは思わない」としてアンケートに回答した潜在意識層がいるのではないか、ということだ。

無論、この疑いは所詮推測の域を出ない。だが、人間というものは自分を否定されないための「自己正当化」を無意識的に行ってしまう生き物だ。つまり、「年賀状を出すのは面倒」という意識を「メールで年賀状を済ませても失礼だとは思わない」という置換えによって正当化し、「年賀状出すのが面倒なんじゃゴルァ!」という本音を覆い隠したのではないか、ということだ。

こうした「自己正当化のための挿げ替え」という行為が「悪」かどうかなんてどうでもいい。また、こうした推論をさも事実のように語るblogが「世に誤解を与える害悪」かどうかという議論もどうでもいい。このサイトが目標としていることはひとつ。

世の中にあふれる美辞麗句や数字の裏にある意図について考える頭を持とう

それだけだ。価格表示改正が増税予告だという認識ができて、どうして「企画営業」「営業アシスタント」募集の求人広告が「実は営業が欲しいけど営業って書くと人が来ないから」という企業側の意識だと気がつけないんだ。

まぁ、私も4年前までは気がつかなかったわけだがorz