インターネットを活用するという病理

世の中の大多数にとってインターネットは「辞書や時刻表より便利な道具」か「趣味に関連した情報を適当に探す」程度のモノでしかない。付け足すならせいぜい楽天Amazon、Yahooオークションだろう。あとは優先順が違うくらいだ。あ、年賀状刷るとかもあるか。でもこれはPC自体の活用だな。いずれにせよ、世の中が枠組みを用意して「こんな使い方もあるよー」というモノをそのまんまやってる範疇は抜け出ていない。むしろ「なんでもできる」とされている側面が比較的活用されている部類の機器だと思う。

つまり世の中を変えようとか新しいことをやろうとかいう発想はマイノリティなのだ。単に目立つから「インターネットはそういう場所」と錯覚するだけで。ここで「いや、そんなことはない! インターネットは次世代を創造する可能性を持っている!」とか熱弁する人、メディアに毒されすぎです。可能性があるのは認めますが、要は活用されるかどうかって観点だから。

例えば電子レンジを見てみよう。電子レンジで冷凍食品や冷蔵庫にしまっておいたモノを温める以外のことをする人ってどのくらいいるだろうか。ちょっと高級なオーブンレンジが家にある人でも、冷蔵庫のモノを温める以外はトーストを焼く程度のことしかしていなかったりする。これも使い方次第では猫を乾かそうとして抹殺……げふんがふん。都市伝説は別としても、普通に色々な料理が作れる。

で、これを嘆く人がいるわけだ。「もっと活用の余地があるのに、おまえらわかってねーよ」と。しょうがないじゃん、それ以上活かそうと思う発想がそもそもないんだもん。そうしなくても十分満たされてしまってるんだからさ。一般大衆の誰が電子レンジでジャムを長期保存しようと考えるんだ? 仮に知っても実践するのはせいぜい1回だろう。

これのどっちが病理かというと、「おまえらわかってねー」と嘆く方だと思うのだ。「余計なお世話だ」と一刀両断する気はないにしても、おなかいっぱいの人に餌を与えても喜ばれないことくらいは分かるだろう。餌は飢えている層にやってこそ意味があるのだ。今の生活に困っていない人間に言っても動かない。

そういう意味では、Trackbackは実に的を射た仕組みだったと思う。特定のネタに飢えている層が別の餌を追えるわけだ。時には「毒食わば皿まで」を要求されることもあるが、検索エンジンのヒット項目を追う作業とは違う道筋が広がる。それがTrackBackの設計目的だったのかどうかは別として。醤油チュルチュルが灯油ポンプとして使われてるように。

RSSSNSも当初の意識がそうだったかは別として、活用の余地があった点では非常に評価できるし、そんなことは私が示さなくてもインターネットが示している。だが、皮肉にもこれらを形成しているのは「おまえらわかってねー」と嘆く側だ。

自己啓発は難しい。それがインターネット上の活動であるならば、尚更だ。