サヨク疑惑

サヨク疑惑というのは結構簡単に作れる。そもそもそんなことに興味が無いという人が大半だと思うが。

例えば宮崎駿。彼はナウシカ時代から自然保護プロパガンダを映画に含む傾向があった(もののけはその元祖にして集大成)し、テレビに出るようになってからは「若者が電車の中でメシを食う最低の国になった」とかのたまうようになっている。こうした部分「だけ」を抽出し、「宮崎駿は近代合理主義がもたらした「自然破壊」や「モラルの低下」を『資本主義とそれによる合理主義がもたらした豊かさによって生まれた害悪』として敵視する態度と解釈した記事を仕立て上げる。その解決策としてマルクス・レーニン主義がもたらす理想をぶち上げれば、たちまちサヨク主義者宮崎駿の出来上がりだ。

カトゆーが紹介する記事(これとかこれとか)の傾向を見ると、紹介されている記事は勿論のこと、紹介するカトゆーも左翼だ、と言えなくは無い。というのも、前者は「事件の犠牲者を悼む人間心理」を「金儲けの道具」として扱っているレコード会社を批判している=「市場第一主義批判」と取れるし、後者は「企業が利益第一で、詐欺対策しないままサービス展開した結果もたらされた民間人の不利益=市場経済が持つ負の側面」として取れるからだ。これらはちょっとアジテーションすればたちまち「近代合理主義、資本主義がいかに腐っているか」というプロパガンダを支える根拠となる。つまりカトゆーはヲタネタの中にこうしたエッセンスを混入させることでヲタをサヨク思想に誘導している可能性がある、とか言えてしまうわけだ。

実際カトゆーからすれば前者は単なるネタ、後者は知っておくといいネタ程度だろう。もっとも前者を単なるネタ扱いすると、該当記事の筆者様は怒るかも知れないがな! しょうがねーじゃん、市場経済において人間心理はカモにする以外の価値がないんだからさ。金が動く舞台とモラルを同一のレイヤーに持ってきて議論しようという時点でお門違い。24時間テレビが何故未だに成り立つのか考えれば分かるだろ。幸せに最低限の金は必要だが、最低限以上の金に幸せは必要ないんだ。何より聞く側は被害者ではなくて、テレビの向こうの「抽出された情報」を眺める無責任な一般大衆なんだぞ。2桁にも満たない人間心理に配慮するなんてことしてたらメディア業界は仕事にならないんだ。

閑話休題。こう考えると、他人に対して「あいつはサヨクだ」というレッテルを張ることは極めて「決め付け」行為である可能性が高いと言える。これは別にサヨクに限らない「負の記号」のほとんどに言える。前回の血液型ネタも然りだ。士農工商の時代から……嘘だな、きっと人間に精神が生じたときからレッテルが持つほとんどの側面は論理的に考えれば根拠薄弱な押し付けがましい御都合主義だ。

では、なぜこうした話を腐るほど聞くのだろう? 理由は簡単。人間は仮想敵、つまり「いじめる相手=虐げる対象」を求めているからだ。それによって優越感を得たいからだ。民間人にとって市場経済で名を馳せる相手は仮想敵なのだ。その口実としてモラルを持ち出すと共感を得やすいから無意識的に持ち出してしまうだけなのだ。拘りでもなんでもない、原始的な欲求からの衝動。血液型によるいじめと何ら変わりえない。

これを宮崎駿にリンクさせて考えると、彼も今のような「社会的成功」までは虐げられまくっていたわけで、自分の作品が話題=金蔓になると分かったとたん徳間が映画継続を強力にプッシュしてきたウサばらしを……ごにょごにょ。いや彼には最初から結構な聖少女思想とヒロイズムがあったと思うが。しまった、これって「押し付けがましいレッテル」だ!

結論:堂々巡り。さわんじゃね。

by ぱにぽに
「ほらほらカラスよけあげるから」
「人は何故戦争というあやまちを繰り返すのかー!」