殺人考察(前)

俺は、お前を犯<ころ>したい。この発言は、どこから来るのか考えてみよう。

両義式は現代の中で異常だった。学校でも着物、女に剣を教えるような家庭、おまけに二重人格を自負している。たとえ見目麗しかろうとも、己自身が現代社会における異端であり、異常であることを誰よりも本人が自負していた。そのはずだった。

なのに、そんな異常を隠しもしない自分に普通に接してくる馬鹿(しかも異性)がいた。

彼は私に共感したわけではなかった。同類でさえなかった。そこにいるのは、あたりまえの高校生。みんなと同じような姿で、みんなと同じような話題の中で過ごし、みんなと同じように笑う――。だというのに、そんな普通の高校生が自分にまで普通に接してくる。

そう、両儀式に関わってくるということだけが異常な、普通の青年。彼女は、たったそれだけのことで壊れてしまった。

彼女自身、それまで気がついていなかったのだ。己が異常であるという自負は、周りが己を異常であると認知してこそ成り立つということに。周りが自分を異常なものとして避け、話し掛けない雰囲気を作る。それは見えない壁となって、両儀式という「異常」と、その他大勢という「普通」を区別する。これが両儀式を「異常」たらしめる何よりの証。

だというのに。それを無視する馬鹿がいる。あえて壁を無視してるのではなく、そんな区別が必要ないといわんばかりの態度で。

そもそも彼には必然がなかった。学校生活上仕方なく両義式と関わるとか、そんな理由ではない積極性があった。その原因はなんだというのか。彼が男で、私が女だからか。たったそれだけのことで、大多数の人間が形成する「普通」と「異常」の壁を壊してしまえるというのか――

彼女はわからなくなった。自分が何なのか。「異常」であってこその両義式は、そこであっさり壊れてしまう。「異常」であることが両儀式の「常識」であったというのに、たったそれだけのことで揺らいでしまうなんて――

それは、かつて経験したことの無い狂おしい、苦おしい時間。自分が信じてきた、自分が自分であるために形成してきたそれまでの基盤が、世界が否定されるような錯覚――

でも、両義式は異常なんだ。それだけは間違いないんだ――

彼女はそれを正当化するために、無意識的に黒桐幹也を試す。もし両儀式黒桐幹也の前で人を殺したならば、あるいは黒桐幹也自身を殺害しようとしたならば、彼はその時こそ両義式を「異常」と認めるだろう。その事実は、「異常」であってこその両義式を肯定する。彼であろうとも、「普通」と「異常」の壁は覆せないのだと。両義式が自己の拠所とした「異常」という価値観を、壊すことは出来ないのだと。だから、両義式はナイフを握り締めて、黒桐幹也にこう告げる。

"俺は、お前を犯<ころ>したい。"

その答えが、絶叫と拒絶だと信じて。両義式の価値観を肯定する態度であると、信じて。