ライブドア王国が今回新設した重税について

今回は猛反発を食らっているライブドアブログ規約改定について。ライブドア批判もwebリソースの著作権もすでにネタとしては腐っているのでちょっと違う視点から見ていこう。

この件が示唆しているのは、かつては表に出なかった「主導権を握る『団体』側が消費者や従業員、その他『個人』を食い物にする」という市場経済における当たり前の構図を、よりあからさまな面で発揮しないと団体側は利潤を確保できなくなってしまったという事実だろう。千尋の画面が赤くても知らん振りしたり個人製作アニメに規制シール貼らせて上前はねたりと、吉田一が指摘した「アグレッシブな商売」が必要な業界がより露呈されているだけのことだ。これまでだって見えない搾取はいっぱいあった。今だってデジタル放送普及対策予算に当てられる電波利用料と携帯電話の関係は一方的な民間搾取以外の何者でもない。多くの人間が被害をこうむるはずの携帯電話が標的にされていながら一般大衆が意識せずに済むのは、むしろ母体数がとてつもなく巨大化したために負荷分散がしやすく、一人あたりの負担が気にしない程度まで小さく出来るからに過ぎない。

かつてのジオシティーズにしろ、はてなにしろ、ライブドアにしろ、私が知らないどっかのISPにしろ、やってることは変わらない。単に目立つだけだ。私個人からすれば、むしろ各個人間の著作権など民事に全部まかせて勝手にやるという規約にしてしまい、「ここを使うからには各自で管理してね」と放っておいて、世の脚光を浴びる何かが出てきたら「おー、うちの広告塔になるサイトが出てきたな」とかいうくらいに構えていればいいのに。電車男のレプリカがライブドアブログから発生したときの印税までせしめなければならないほど、彼らは飢えているのだろうか?

1円でも売上を。この発想は市場経済における基本であり、間違いなく必要な発想であり、正しい。そして手段を選ぶことで目的を見失うのは単なる馬鹿だ。だから倒産してしまうくらいなら悪党になってでも食いつなぐ姿勢そのものは否定しない。だが、食っていける人間がそれ以上を食い散らかす必要が一体どれだけあるのか。

日本は平和だ。市場経済の戦争は否定せず、武力戦争は否定する。ライブドアは米国ほど圧倒的ではないが、既に戦争を自発的に起こしていかないとやっていけない軍需産業だ。ライブドアブログ住民に対する民族浄化さえ必要な限定社会王国ライブドアの未来はどこまで続くだろう?

戦争は対抗戦力がいる限り続く。一番早い終戦の道は、違う国へ移り住むことだ。少なくとも、今はそれができる。できなくなったら創ればいい。それが出来ないなら、そんな不便な便利さは切り捨ててしまえるはずだから。それが麻薬でない限り。

そして、ライブドアブログはまだ唯一の麻薬になっていないはずだ。それに早く、気付こう。

余談。税金納めてる身でもこのネタはきつい。イタタタ。