労働意欲の低下に対する傾向分析と対策(草案)

たまにはこういうブチカマシもありってことで。以下、なんちゃって論文形式。
1.労働意欲の低下が見られる人間の傾向
以下の2つが比較的「社会と折り合いをつけて、正社員として労働している人間」たちより強い傾向となって現れていると予想される。

割を食いたくない
一部の成功者、権力者がさらに豊かになるための基盤労働力と成り下がることで「搾取されている」感覚に陥ることを嫌う。また他者より明確に劣っている自分自身(収入・生活レベルその他)を認知したくない。

他者が持っている全てが欲しいという「着地点のない欲求」
他人がそれぞれにもっているいい点、メリット、豊かな点、恵まれている点を各種メディアや口コミから情報として得た結果、それを持っていない自分自身に劣等感を感じる傾向。そのどれかではなく、全てを手に入れようとして「何かひとつは手に入るけれど他が手に入らない」状況を嫌う。
(お金は稼げるけど時間はなくなる等)

要約すると

「損はしたくないけど、得はしたい」

2.フリーターの傾向
彼らの特徴は大きく3つあると予想される。

自己責任に基づく行動選択の結果訪れる下落への恐怖
「今以上にはなりたい。でも今未満にはなりたくない。何かをして今未満になるくらいなら今のままでいる。今と同じ現実が続く分には生きていけるから」という感覚。これによって加齢に伴う問題発生をずるずると後回しにする。

結果的に成功した事例を一足飛びに求める「過程の無視」
「世の中にはうまくいっている奴がいるのに、自分はそうではない」という羨望と劣等感が表面化したもの。所謂「運によって左右される部分」の「運がいい事例」を眺めすぎた結果、それに当てはまっていない自分の不運を嘆く。また同時に「いつか自分にもその運が巡って来るに違いない」と信じることで「世界に見捨てられたわけではない」自分の存在を信じようとする妄想傾向。

※実際に運がいい人間というのは、「運がつかめるかもしれない機会」を自力で増やしていける人間、つまり物事に対して積極的に取り組める人間であることが比較的多い。
※※ ……無論、例外はいくらでもあり、皮肉にも例外の方が世間的にも目立つ。世の中が成功者を宣伝しすぎた結果と言えると思われる。

漠然とした自分自身
「個性が重視される教育方針」で育てられたのに、その落としどころに辿りついていないため答えを先延ばしにしている状況。ただしこれは言い訳要素が強く、実際の心理状況と一致しているとは限らないと予想される。

要約すると

「特に欲しいものないんだけど、そこにいる誰かより貧乏って嫌だよな。かといって遊べない生活も嫌だしなぁ」

3.ニートの感覚
大きく2つあると予想される。

自己認識の低さから来る無気力(評価基準の高さから来る自己否定)
失敗や挫折の経験から「ああ、私はこんなにも駄目なんだ」と自分に烙印を押してしまい、何もしなくなる。

他者に対する過剰防衛
「人を見たら泥棒と思え」という前提で生きることを標準とした結果、「やりかた次第で君も価値がある人間になれる」という他者の助言や助力自体を「嘘」や「姦計」として除外し、「自分が判断した世界観(世の中はウソツキでいっぱいで、信じるものは馬鹿を見る)」という固定概念そのものを守ろうとする姿勢。

要約すると

「私は社会じゃどうせ役に立たないんでしょう? 人を騙して金儲けしてる人間なんかに関わりたくないから放って置いて」

4.打開策(理想論)
以下の2つは一定の効果を上げる見込みがある。

例1 「無難な選択肢を社会がシステムとして用意する」(賃金が完全固定)
<現状>
世の非正社員労働力は、求人広告業界御得意の「○○万円以上」という状況に釣られては裏切られるという状況が日常化している。そのため非正社員労働力コミュニティでは「どの企業はどうか」「どの現場はどうか」という情報のやりとりが非常に激しい。結論としては「それは運次第」となっているが、彼らは「自分が恩恵にあずかれるかどうか」でモノを見ている。

そこで、その余地をなくす。

<提案>
「あなたの基本給は○○万円、税金保険その他で○○万円引かれるから結果として手取りは○○円ですよ」ということを求人募集の段階から完全確定させておき、それを貫徹する。これによって「他人より割がいいかどうかは別として、他人と比べて割を食わない」状況を作る。これによって「広告では○○万円とか書いてるけど実際は××万円だ」といった叩きがなくなり、「とりあえずその仕事に就いておけばいいのでは?」という感覚を作る。
<懸念>
就職に対する競争率自体はどうしようもない(無難だと広まれば広まるほど競争率は高くなると予想される)ため、その時点で勝ち組負け組が発生する難点もある。また、このご時世にそんな安定した仕事があるのかどうかという論点はまた別。さらにトヨタのような「満期前どころか1日で逃げ出すような現場」だと本末転倒となるため、賃金対労働のバランス感覚が重要になる。

例2 「教育期間を教育期間として活用する」(親身になった現場教育)
<現状>
昨今の労働現場は即戦力志向であるため、経験のない人間が「その仕事を続けられる自信」を身につけられる時間がない。「未経験でも大丈夫」と言いながら実際は現場に放り込んであとはちゃんとやってね、と放っておく例も多い。これによって労働を希望するものは「裏切られた」感覚を抱き、自分も契約期間その他を「裏切って」離れていくことを正当化する。

そこで、口上だけだった教育期間をしっかりと教育期間として活用する。

<提案>
仕事を続けようという意思が無いという説もあるが、意思が無い人間というものは他人が無理やり教え込んでやれば引きずられて身に着けていくものである。教育の成果として100%残ることを期待するのではなく、途中で逃げ出す人間を半減させるだけでも意味がある。また「ちゃんと教えてくれる」という評判が立てば頭数も集まるようになり、「教えてもらえるならやれるだろう」という心構えで来る人間も増える。
<懸念>
教えて君(教えられることを前提に、教えてもらったことしかしない)」人間が集まりやすくなる、その割に不満だけ立て並べる「勘違い連中」が集まることも避けられない。また指導者との相性によっては人間的衝突も少なくなく、教える側に「教え我意がない」状況も発生しかねない。また、教育を施すことは万人の技ではなく、それ自体にもお金がかかる世の中となっている点も考慮しなくてはならない。

5.労働意欲の発起に向けた究極的理想概念
以下の2つは社会において完璧に絵空事であるため、あくまで概念論に留める。

財の再配分
権力層や富裕層が持っている資本を庶民レベルに対して教育や「精神的・時間的余裕を持つためのストック」として投資する発想が必要。

競争社会の限定
万人が競争に晒される状況から「競争したい人間が競争し、そうでない人間は落ち着くところに落ち着く」構造を作ることで、競争における敗者および犯罪者だけが「例外的失敗」となる状況とする。そうすれば「因果応報」は成り立つ。つまり「身の程知らずな欲を出すことは基本的に愚かでリスキーだ」という意識を大衆が持てるようにする。

現状はここまで。続きは未定。