真面目に社会を考えてみる似非Agitation

すでに題が矛盾しているのだが、ここで敢えて誰も拘らない連載をぶったぎって真面目な発想をかましてみる。というのも、きまぐれ偏拾帖が名前を変えて復活していることを今更知ったからだ。閉じた世界はどうしても音速が遅くなってしまう。ニュースサイトで読んでるのはカトゆーだけだからな。

さて、どうもNHKNEET放送関係からその手の話題で盛り上がっていたわけだが、blogerの大半は個人を主眼に論じている。つまりNEETが増加している社会の中での己の心情・立場を取り上げ「何をしようが割を食う自分たちが割を食わないようにするには社会がどうあるべきなのか」という漠然とした怠惰イメージを原点に論じているということだ。結局、社会が悪い論と大差が無い。

どんなに論理的に社会分析し、その矛盾点を洗い出して「騙されない自分」を構築しようとしても、正しさを優先して反抗すれば結果として食えなくなることを知っている。だから従うしかなく、社会に対して無力である自分に失望し、気力を失いNEET予備群になる。実に分かりやすい構図だが、これを社会が認めると既存社会体系が破綻し、そこにどっぷりつかることでしか己を確立できなかった連中は保身のために「最近の若者は」で済ませる。そしてマスコミはお金に従順だから、現状で決裁権を持つ世代の意見に従った報道をする。それが的外れかどうかなんてどうでもいい。ただそれだけのことだ。

そんなことは今更論議しても始まらないのだから、ひとつ先に進もうと提案したい。世界は変わりえない。変えられる人間はいるが、変えられない人間に世界は変えられないのだ。私はクリスチャンではないが、この予定説だけは信奉している。人間は主に環境によって構築され、その結果生じた可能性は事後努力で変えられるものではない。ならば己が無力にならないために、己が無力にならない場所で力となるべきだ。

つまり、割を食う層は割を食うのが分相応であって、その事実を否定しようとやっきになるより「割を食うことを前提に、その中でどれだけ足掻くか」が重要なのだ。だからNEETは働かせようとか、対策打とうとかじゃなくて「奴らは家族が死ねば死ぬから放っておいて、あいつら無視でこれからの日本をよりよくしていくには今後の世代をどのように扇動するか」のほうが重要だ。

奴隷制度にだって意味はあった。奴隷制度が否定され、廃止されたのは余裕のあった層が「文化的」というモノを勘違いして「弱いものにも慈愛の心を」なんていうものを宗教ではなく現実に持ち込んだからだ。神の世界ではなく現実の世界で奴隷という境遇を開放しようとしたからだ。そしてそれが多くの弱者の共感と利益感情を呼び、プロパガンダと実行力として成立してしまったからだ。ユダヤ人もプライバシーも消費者の権利も大して変わらない。弱い奴らは弱いはずだったのに、今は弱いこと自体が力になってしまいつつある。それが結果として弱い自分がかろうじて生かされている現在の世界自体を崩壊させることにも気付かずに――。

奴隷制度の崩壊は、奴隷の選民を産んだ。つまり労働力として優れていない元奴隷は捨てられ、労働力として使える元奴隷と区別された。捨てられた使えない元奴隷は、使ってもらえてる元奴隷からも下層扱いされた。それまではみんな一緒の立場――「奴隷」だったというのにだ。これが美しいか? 奴隷を救ったか? 否、救われたのは「能力のあった元奴隷」であって「奴隷」ではない。

要は上も下も身の程を知れということだ。知った上で力となれということだ。今一度、人のためにお国のためにという発想を見直せということだ。別にそのために命と自分の幸せ「全て」を投げ出せとか言わないから、両立ってものを考えろということだ。国家、社会、企業、そして個人が飴と鞭、ギブアンドテイクという「人を操る基本」を思い出せば、きっとそれだけで少しずつ歯車が回りだす。

貧富の差なんてなくならない。問題は富裕層が下層に鞭しか与えられなくなった事実だ。富裕層が下層に与える飴と鞭のバランスを間違えない限り革命は起こらない。そういう意味で日本は今革命の危機を迎えつつあるのかもしれないが、国民性から考えて自主革命は無理だろうな。地域性失ったおかげで団結力もなくなったから、結局企業に飼いならされつつ人口減らして国力失って戦争に巻き込まれて国家崩壊するのがオチだろう。そうやってはじめて「日本を取り戻せ」がプロパガンダとして成立する。仮想敵のない戦いいなんて出来ない。

必要なのは思い込みだ。個性とかゆとりとかンなもんはどうでもいいから、とにかく社会構築の前提を刷り込むだけの「社会の幻像」が歪まないだけの世界を作ることのほうが大事だ。それを歪ませる馬鹿は問答無用で殺されるくらいの殺伐とした世界なら、間違いなく人の方向性は歪まない。制度自体が近代的価値観として狂っていたとしても、きっと維持するだけならそのほうがずっと手っ取り早い。

だから、いいとこどりしようなんて発想が間違いなのだ。もし本当に団塊の世代を粛清したいなら殺すしかなく、NEETを減らそうと思うなら殺すしかない。選ばれたものが選ばれたものを創り続ける世界でなければ世界の質は保たれない。国民皆保険生活保護も、近代民主主義が掲げた理想はこれらを真っ向から否定する制度だったといえる。

騙す層は騙すことに徹底し、騙される層は騙された世界で最後まで生きる。それから外れる層は殺される。それで世界は回るはずだ。今は騙す層が騙すことに徹底できないほど馬鹿だからそうなるだけだ。

上は下を殺さない程度に飼い、反抗しない程度に可愛がる。下は下同士で傷を舐めあいながら、上に飼い殺される日々を送る。それでいいではないか。両方ともがそれ以上を求めてしまっているから、この世はどんどんおかしくなっているんだ――

とかホンキでかましたら多分社会的に抹殺されるだろうな。そもそも良く分からないし。まぁ身の程知らずは見苦しいってことでFA。