blogerに怯える似非インテリ

13歳のハローワーク』において村上龍は言った。

作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ

私的には、本著作の最大の価値がここにある……などという書き込みはもう光速が遅いレベルかもしれないが。ここに関して語ると個人的に落ち込むので割愛するorz

本著作では作家とライターが別個に書かれているが、基本的には大差ない。ただ、ライターの方が己の色より時事や話題性に左右される傾向が強く、また短文で端的な論調(悪く言えば偏った意見)を文章にするという点が異なるだけだ。また作家のように頭の中のお花畑を文字にするのではなく、現実の政治経済その他をトピックにしなければいけないという制限がある程度だ。

だからこそ、ライターの未来は作家より暗い。自分たちの舞台がアジテーションの上手い素人に食われ始めているからだ。

livedoorパブリックジャーナリストを募集するという行動に出た。livedoor関連出版物のネタにしたいだけだろうが、そこはどうでもいい。重要なのは、原則としてコネが要らないことだ。

出版の世界、もといインテリという権威を持つ者達の世界はコネで構成されている。100%コネとは限らないとかいう揚足は本質を捉えていないので却下する。問題はライターもこの例に漏れず、コネ就職しているという点だ。

フリーライターと名乗る人間は2パターン存在する。ひとつは昔就いていた職業特有の知識を活用した「知る人ぞ知る業界を晒し、斬る」パターン、もうひとつは就職時点からライターと名乗り、受ける文章を磨いてきた「成り上がり」パターンだ。彼らは経緯こそ多少異なれど、何らかの形でマスコミに接点を持ち、結果としてその職に就いた者達だ。特に後者はふつーに就職できなかった何らかの社会的不適合を持ち合わせていた人間が斜めな論調でも生きていくために就いた職業だと言い換えてもいい。

実は、双方ともblogerに侵される側面を持っている。blogは各人が各人の業界知識を交えつつ時事情報を分析し、斬ることを特色とする日記だ。つまり「昔取った杵柄」で飯を食うタイプのライターは同じ業界知識を以ってblogを書ける奴が出てくることに怯える。一方「成り上がり」で飯を食うタイプのライターは自分が磨いてきた腕異常のblogerが出てくることに怯える。

あとは確率の問題だ。そして、確率としてどちらが多いかというと「成り上がり」者より腕のいいblogerだ。livedoorパブリックジャーナリストはまさにこれをターゲットにしている。

コラムニストの論点というのは基本的に穴を持っている。というのも、端的に表現するために「主張に必要のない側面」をあえて割愛するからだ。その穴を突付くコラムニストのネタ提供をするという側面も含めて。似非インテリという奴らはこういう部分をお互いに食い物にしてネタを繋ぐ終わりない花一匁をやっている。だから同じ雑誌に対極の主張が載っていたりする。

だが、blogerは必ずしもそうではない。というか妥当性だけならそこいらのblogerのがずっとあったりする。彼らは掲示板文化を知っているにしろ知らないにしろ、穴があると荒れることを知っているからだ。だからどちらがためになるかといったら、偏ったコラムニストより公平なblogerなのだ。ただしあまりにも的を射すぎていて、救いがない内容になっている場合も少なくないが。

いずれにせよ、コネ就職組より腕のいい書き手は育ちつつある。そしてそれにコネを素っ飛ばして価値を与えるスポンサーが現れるかもしれない。かもしれないというのは、報酬が具体的にどうなるのかまだ実例がないからだ。

だが、もしlivedoorをきっかけに出版に繋がったり、別口でコラムコーナーを設けるライターが出奔することになったら、コネ就職の似非インテリコラムニストは立つ瀬がなくなる。彼らが唯一お互いを慰めあえた境遇が、真の実力者によって駆逐されるのだから。

垣根をなくすということは、こういうことなのだ。だから今のうちに公務員になっとけ。

P.S
はじめてmixiのお気に入りを使った。15人分。
あとなんでか村上龍村上春樹になってた。どこでどう入れ替わったんだorz